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1973.1.28

 

栃木県安蘇郡葛生町にある日鉄鉱業葛生鉱業所に明治生まれの古典蒸機が存在することを、1972年秋に創刊された「SLダイヤ情報」で知った。早速、問い合わせてみると、年に数回運転しているということが判ったが、運転予定は不明ということだった。それで「運転日が決まり次第連絡がほしい」という旨を書いた往復はがきを出しておいた。そして翌1973年、新年早々、日鉄葛生鉱業所から初めてのインビテーションカードが届いた。

1973年1月28日の朝、東武佐野線の終点、葛生駅に到着した。目的の日鉄鉱業葛生鉱業所は葛生町仙波地区にあり、葛生駅から直線距離にして約6km。1日数本のバスがあったが、すでに朝の便は出発した後だった。タクシーという手段もあったが、中学生の私は6km以上の道のりを歩くことにした。線路に沿った道路をしばらく歩いていると、一台の乗用車が私の前で止まった。「どこまで行くの?」と若い女性(当時!)、「日鉄鉱業まで」と答える。彼女もそこまで行くということで、車に乗せてもらった。聞くところによると彼女の父親が日鉄羽鶴線の機関区長だそうだ。

日鉄葛生鉱業所に着くとすでに「1080」は構内で試運転をしており、数人のファンがその様子を撮影している。お礼もそこそこにカメラを持って車から飛び降りた。

 

 

本線運転に備え、構内試運転をくり返す「1080」。この時は形式なしの赤いナンバープレートを付けていた。●1973.1.28 日鉄鉱業羽鶴線

 

 

DLと「1080」の間にある建物が機関区の事務所だった。

 

●1973.1.28 日鉄鉱業羽鶴線

構内試運転を終え、ひと息つく「1080」

羽鶴線の主力ディーゼル機関車DD451 ●1973.1.28 日鉄鉱業羽鶴線

この日の運転状況について明確な記録はないが、午前中いっぱい日鉄葛生鉱業所構内で試運転を繰り返し、午後から貨物を牽いて羽鶴〜葛生間を往復したと記憶している。その日の「1080」の運転時刻については試運転の後に発表になっていたはずだが、初めての訪問のためそのことも知らず、ただ午後から貨物を牽くらしいという情報だけで日鉄葛生鉱業所を後に山を下った。

雑多な貨物を牽いて、葛生の山を下る「1080」 ●1973.1.28

初めての土地でしかも徒歩鉄のため(中学生なので当たり前!)、適当な撮影地を探すことができず、小さな鉄橋があるところで山を下る列車を撮影した。その後、葛生方面をめざして線路沿い歩いた。森や林、田畑を通り過ぎ、市街地に入ったところで、突然、貨物を牽いた「1080」が姿を現わした。咄嗟のことで、無我夢中でシャッターを切ったが、まあ結果は...。次回へのいい反省材料になった。そのまま東武線葛生駅に向かい、帰途に着いた。

 

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