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 1977.8.28

 

不調だった前回の運転からのちょうど2ヶ月後の夏休み最後の日曜日、「1080」が運転されることになった。この日は7:30過ぎに葛生駅に着いたが、7月に東武バスの時刻改正(ワンマン化)があり上仙波行は7:22発に変更されてしまったため、7:49発の秋山行に乗り、岩崎で下車し日鉄葛生鉱業所に向かった。機関庫の前では「1080」が煙を上げている。今日は元気そうだ。DL庫の脇にあった七尾から来たコッペルは、大井川鉄道に運ばれたそうで、もうここにはなかった。

 

 

眠りから醒め、運転に向け準備中の「1080」 ●1977.8.28 日鉄葛生鉱業所
今日の「1080」は調子がよいのか、スタッフが寛いだようすで打ち合わせをしている。 ●1977.8.28 日鉄葛生鉱業所

 

この日はNHKのTV収録があり、宇都宮放送局の水野アナウンサーが取材をしていた。放送は9月2日午後1時35分からの「関東ネットワーク」だそうだ。TVに出演するなら今日の「1080」は最高の走りを見せてくれるにちがいない。

構内試運転が終え、本日の運転時刻が発表になった。今日は羽鶴から葛生まで1往復し、その後中間駅の常盤まで1往復するというダイヤだ。羽鶴14:40発のみが単機で、そのほかは貨物を牽引するということだ。

 

 

中間駅・常盤をバックで通過する「1080」

 

貨物を牽いて羽鶴をめざす「1080」 ●1977.8.28 日鉄羽鶴線

 

最初の列車は中間駅の常盤で撮影した。この駅は、羽鶴までの急勾配を一度に登ることのできない貨物を分割するという役割も果たしていた。ターンテーブルも設置してあったそうだが、ちょっと記憶がない。その後、常盤〜羽鶴間を撮影しながらを移動した。

 

この日、唯一の単機運転

 

空車を牽いて鉄橋を通過する「1080」 ●1977.8.28 日鉄羽鶴線

 

この日最後に撮影は、定番ポイントの鉄橋だった。「1080」が8月の空の下、元気に走り去った。これが最後のカットになるとは、この時は思わなかった...。その後1978年9月24日、1979年6月10日、1979年9月2日に「1080」の運転があったという記録があるが、葛生に行くことはなかった。その後、鉄道雑誌で一番人気の鉄橋の老朽化により羽鶴線自体が廃しとなり、トラック輸送に切り替えられたことを知った。

 

あれからすでに20年余が経過したが、葛生の古典蒸機「1080」は、今も大切に保管(非公開)されているという。すでに羽鶴線の線路は撤去されているため、葛生の山の中で明治生まれの機関車の汽笛を聞くことはできないだろうが、その存在がある限り、いつかどこかで再会できるような気がする。「1080」が長い眠りから覚めるのはいつの日だろうか。その日が来ることを願いつつ...。      <2001.5.1>

 

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